「特撮ヒーロー像が劇的に変化するタイミングは、1980年頃のSF映画ブーム(スターウォーズ、未知との遭遇)と、ギャラクティカのリイマジニングにあると感じる」
「何が変化したの?」
「大ざっぱに言えばこんな感じだ」
- かっこいい僕がヒーロー
- かっこいいのは他人
- 苦悩する僕こそがヒーロー
「どういうこと?」
「スター・ウォーズは、かっこいいのはハン・ソロでルークはただの芋兄ちゃん。未知との遭遇でも、主人公は妻が愛想を尽かして出て行くようなダメ亭主で、接近遭遇を準備していたのは政府の関係者」
「あくまでかっこいいのは他人ってことだね」
「でも、それでいい。観客は格好良くないからだ。感情移入したいならできるだけ等身大の方がいい」
「客はもう子供じゃ無いってことだね」
「第3世代になると、ヒーローも苦悩する存在になり、等身大に降りてくる。その結果としてドラマも変化するのだがね」
「たとえば?」
「スターウォーズ3は最終的にアナキンがダースベイダーになり、ギャラクティカは第4シーズン名物の鬱展開になり、アベンジャーズは最後にダラダラとみんな集まってハンバーガーを食ってるカットが入って終わる。ヒーローのヒーロー性は否定されてしまい、確かに何かの問題は解決されるが、それはヒーローのヒーロー性の証明たり得ていない」
「で、それがヤマトとどう関係するの?」
「そこだっ!」
「どこだよ」
「ヤマト1974は既に第2世代のヒーロー像を先取りしつつある」
「格好いいのは他人ってことだね」
「そう。古代の視点から見ると、格好いいのは他人なんだ」
「加藤の方が格好いいし、指揮官は沖田だね」
「それでも古代が格好良く活躍する側面もあるから、1.5世代とでもしておこうか」
「なるほど」
「その点で、復活篇はきちんと第3世代ヒーローになっている」
「どのへんが第3世代ヒーロー?」
「ダメパパと娘から糾弾される中年古代とか」
「な、なるほど……。等身大のヒーローだ」
「SBヤマトになると、急速に世代が後退する」
「ボロボロの古代君が第3世代ヒーローっぽいが、途中から古代君が活躍してしまうことで第1世代の接近してしまうわけだね」
「問題はヤマト2199で、これはそもそも苦悩するヒーローの側面が希薄で、最初から第1世代に近い」
「それではスターウォーズ3やギャラクティカやアベンジャーズには勝てないわけだね」
「そう。実はヤマト1974と比較してすら後退している」
「たとえば?」
「ヤマト1974はガミラスを滅ぼして、それを見て苦悩しちゃうわけだが、結局ヤマト2199ではご都合主義のバカップルにすり替わってしまい、より古いタイプのヒーロー像に接近してしまう」
「それじゃ食い足りないわけだね」
「ただし、一般の客の水準は実はそれほど高くはない」
「というと?」
「ギャラクティカの第4シーズンは楽しいよ。なのに、あの程度の鬱展開で遭難者が続出ってなに? 実際にスターウォーズを見て分かったのは、良く出来た作品が多いにも関わらず新作が渇望されている。要するに第3世代ヒーロー像は、成長した客をつなぎ止めるために必要とされたわけだが、同時に脱落者も多く産みだしてしまったということだ」
「だから、第1世代ヒーロー第2世代ヒーローへの支持も根強いってことだね」
「そう。だからハン・ソロがミレニアム・ファルコンに乗るスターウォーズは求められてしまう」
「第3世代の嗜好することが正しいとは限らないわけだね」
「そうだな。より古い世代のヒーロー像を語っても客は付く。ただし、顧客層は制限されてしまう」
「じゃあ第3世代を求めるべきだったの?」
「それをやっても、やはり顧客層は制限されてしまう」
「どうすればいいんだよ」
「全ての客を満足させる映画作りは不可能だと知れってことだ」
しかし §
「でも、レベルを低いヒーロー像に固定することと、上手く作ることは話は別」
「たとえば?」
「ゴセイジャーという戦隊があったけどね。あれは、かなり視線を低めに取った作りで、大人が見ても食い足りない側面は多かった。でも、ストーリー的には主人公がブレドランに敗北することから始まって、話が常にブレドランに回帰する。そういう意味で、ストーリー構成には軸があって上手かった」
「それで?」
「手垢の付いたネタを使って、シンプルかつ単純明快にやるなら、それはそれでありなんだけどね。でも、それはそれで難しさを伴う。楽な道とは限らない」
しかし2 §
「しかし、1961年の松林宗恵監督の世界大戦争はかなり大人の話で、第3世代ヒーロー像を先取りしていたとも言える。やれば世代を超えて先に行くこともできる。でも、あれだけ良く出来ているのに、あまり良い評価ではなかった、というボヤキも付いてくる。先に行きすぎたんだ」
「前に行けば良いってことではないのだね」
「そういう意味で、ヤマト1974も、やや先取りをし過ぎた面がある。1974年の日本は、まだアレを受容するには早すぎたんだ」
「好きだった人もいるよ」
「あれを好きだと言える人が少数派であることは、【早すぎた】という言葉の意味だよ」
しかし3 §
「ただ、あまり安っぽいドラマばかり作っていても、客が育たないという問題もある」
「戦隊は日本の伝統芸能だから、あのままで良いのだ的な勘違いだね」
「そう。視聴者層を上手く育てていかないと、より大人向けの特撮作品に視聴者層を誘導できない」
「何かトレンディーなドラマに向かうだけなんだね」
「そもそも、題材が大人向けというだけで、相も変わらぬ低レベルのストーリーが繰り返されるドラマに人気が出る場合もある」
「特撮以外でもつまらないドラマは多いから、そんなドラマに流れていくだけの人を量産する特撮じゃダメだってことだね」
「そうだ。そういう安っぽい人達は、【何も悪いことをしていない我が国が、悪い隣国から酷い仕打ちを受けています。さあ正義のために戦争をしてこらしめましょう】という安っぽい宣伝をすぐに信用して、賛成してしまう」
「馬鹿が量産されて自分の首を締めるわけだね」
「そうそう。罪を背負っている自覚が無い」
「少なくとも、クソでもくらえと、コスモガンを投げた古代には罪の意識があったわけだね」
「そうさ。でも地球を救うためには止むを得なかった。全員が満足する答えは無いんだよ。その【答えが無い苦悩】を古代は背負った。少なくともその瞬間だけは背負った。それがヤマトを見る理由といえば理由なんだ」
「その瞬間だけ、ヤマトは第3世代ヒーロー像に手が届いたんだね」
「でも、ヤマト2199は届かなかった」
「その差は何?」
「ヤマト1974は視聴者の魂を掴んでしまったが、ヤマト2199はそこまで深く手を突っ込んでこなかった」
「ぜんぜん?」
「オルタのエピソードと異次元空洞のエピソードでは例外的にグッと深く突っ込んできたがね」
「どのへんが?」
「オルタのエピソードでは、自分が機械に過ぎないと気付く物語が展開され、心の闇は深い。異次元空洞では誇り高いガミラスを堂々と主張したメルダが、約束をやぶる味方艦を見てショックを受けるとか。綺麗事に図式化された世界が崩壊していく話なのだよ」
「そのへんはいいわけだね」
「でも、他のエピソードはどんどん綺麗事に図式化されて行くばかりで、心に切り込むような話はどんどん減っていく」
「でも、その方が良いという人もいるわけだね?」
「そりゃそうさ。オタクは自分の心に切り込んで欲しくない人種だ。嘘がバレちゃうからね」
「ぎゃふん」
鉄腕オマケ §
「まあそれで、2009年の映画ATOMを見たわけだがね」
「うん」
「凄く面白かった。良くできている」
「解説してくれ」
「2009年10月という公開時期は、復活篇の2ヶ月前。そういう時代だと理解してくれたまえ」
「それに意味があるの?」
「ある。要するに、第3世代ヒーローが常識化した時代の映画だということだ」
「つまり、アトムが第3世代化している?」
「その通りだ。アトムは本来【かっこいい僕がヒーロー】という第1世代ヒーローだがね。ジェッターマルスという【苦悩する僕こそがヒーロー】という第3世代ヒーローの先取りも存在するのだが、結局マルスはアトムではない。そういう意味で、時代相応の戦闘力を備えようと思うなら、第3世代化は必須なのだ。そして、映画のATOMはそれをやった」
「トビーの記憶を受け継いでいて、思い悩む心を持ったアトム像は、まさに第3世代ヒーローだってことだね」
「でも、第3世代化は客層の大人化に対応する切り札ではあるが、脱落者も産む。おそらく、世界の動向が見えていない単なる【第1世代ヒーローのアトム】ファンは、みんな脱落したのだろうと思う」
「君はどうなんだよ」
「スターウォーズ3が好きでギャラクティカ・リイマジニングが好きでヤマト復活篇が好きなおいらには、ATOMで何も問題がない」
「世間の評価とは関係ないわけだね」
「その通りだ。他人の評価には左右されない。自分で見て決める。とてもシンプルなポリシーだ」
「世間の評判が事実に即していないこともあるからだね」
「そうさ。他人の評価なんか割り引いて考えないと」